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いつも自分が成長できる場所を求めて。誰にも相談せず決めたニューヨーク行き

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坪内小百合さんは、日本の大企業という安定を捨て、ニューヨークでバリバリ働く一児の母です。彼女が大好きだというマンハッタンの中心にあるブライアント・パークで、お話を伺ってきました。

 

――坪内 小百合(つぼうち さゆり)
日本製品販売代理店 セールスマネージャー
ニューヨーク在住 埼玉県出身

 

大学卒業後、大手メーカー商社に入社するも、4年半で退社。自己成長機会を求めて、ニューヨークに拠点を置く、アメリカ市場に日本製品の販売代理を行う会社へ転職。その後、結婚と出産を経て、現在は一児のママ。育児の傍ら、セールスマネージャーとして、営業はもちろんのこと、マネージメント業務、市場調査、海外出張をこなすパワフルウーマン。

 

 

不本意だった配属が、将来を考えるきっかけに

 

――日本ではどんな仕事をしていたんですか?

 

坪内 小百合(以下、坪内):私は就職したら営業をやりたいとずっと思っていたんです。だから新卒で大手メーカー商社に入社しました。でも、入社してみたら営業ができなかったんですよ。

 

実際に配属されたのは、本部全体を統括するような部署で、秘書業務やwebマーケティングなどをメインの業務としていました。結果的には、そこで実際にどうやって会社が回っているのかという部分を見れたり、色々な経験をさせてもらったからすごくよかったんだけれども、当時の自分としては不本意な配属だった事もあり、今後どうしていこうっていうのは入社時から頭にあったんですよね。

 

――不本意だったことによって、今後を考えるようになったんですね。

 

坪内:そうですね。具体的に自分のキャリアを考え出したのは2年目に入ってからです。私の選択肢としては3つ。留学かMBAか転職か。

 

とりあえず動かないことには始まらないので、転職エージェントに片っ端から登録してみたり、19歳くらいの子達と一緒になって留学の相談会に参加してみたり、自分の道を模索してましたね。

 

そんなある日、たまたま転職エージェントからのメルマガを読んでいたら、『日本製品をアメリカマーケットに。ニューヨークを拠点とする会社のCEOが緊急来日。中途採用募集』という文字が目に止まったんです。その瞬間に、「あ、これだ!!」って思って、面接に応募しました。それが今の会社になります。

 

――舞い込んできたチャンスを、掴みに行ったんですね。

 

坪内:そう。それで全てが決まった後に、両親にも当時の彼にも事後報告しました。「会社をやめて、アメリカに行くことになりました」って(笑)

 

――ええええええ!!!!(笑)

 

坪内:結局決まるまでは、ほとんど誰にも相談しなかったですね。ちょうど彼とも結婚の話が上がってきていて、彼はその時香港で働いていたんですが、もし本当に結婚することになれば、彼の扶養に入って香港で生活することになる、自分で何かやりたい事があるなら今だけだなって。この結婚話も自分の後押しになった気がしますね。

 

当初は1年半の期間限定ビザでの渡航だったので、期間があらかじめ決められていたのもよかったかもしれませんね。限られた時間で新しいことに挑戦して、その後また自分のキャリアを考える。それにはちょうどいい期間かなって思ったんです。

 

そして、渡米直前にその彼と婚約。私は単身ニューヨークに飛びました。

 

 

初めての営業職、初めての海外暮らし。初めて尽くしで飛び込んだニューヨーク

――初めての海外生活はいかがでしたか?

 

坪内:異国での新しい生活も仕事も、すごく楽しんでましたね。日本の製品をこっちで売るっていう単純なことなんだけれども、私自身茶道をやってたこともあり、日本文化が海外で広まっていくって、すごく楽しくて。あと、営業というやりたいことができている嬉しさもあって、ただただがむしゃらに仕事していましたね。

 

ニューヨークという場所で、いろいろな国、人種の人と関わり合いながら、多様な価値観や考え方を持つバイヤーに対して、どうしたら一番魅力的に商品の良さが伝わるのかということを日々考える楽しさもありました。

 

そうやってニューヨークで過ごしている間に彼と結婚。しばらくは「遠距離」婚になりました。その後半年くらいして、すごくラッキーなことに香港にいた彼のニューヨーク転勤が決まったんです。そのおかげでビザも延長でき、仕事を継続することができました。

 

出産も経験して、今は一児のママでもあります。出産して2週間はお休みをもらって、その後は在宅ワークをしながら2ヶ月で復帰して今に至ります。

 

――すごい奇跡!子育て環境としては、アメリカはどうですか?

 

坪内:私としては、すごく働きやすいし、子育てもしやすいかなって思っています。こっちのお母さんたちって、みんなすごくパワフルなんですよ。出産しても私みたいに1ヶ月くらいで復帰する人がすごく多い。もちろん自分のポジションを守るために復帰しなくてはいけないというのもあるんですが、ナニー(※)を依頼したり、日本でいう保育所のようなデイケアに預けるということが当たり前なんです。子どもは両親だけで育てるっている概念ではなく、みんなで育てるという概念。私は、義理の母に日中の子どものお世話を手伝ってもらっています。

 

私みたいに働いていたいと願うママにとっては、すごくありがたいですよ。子育てもすっごく面白いから、仕事と並行して楽しんでいます。

 

※ナニー
保護者に代わって一時的に子どもを預かり、面倒を見るのがナニー。ベビーシッターとの違いは、単なる身の回りの世話にとどまらず、しつけや勉強、情操教育など乳幼児教育の専門家としてケアをする
(参照:「ナニー」の職業解説【13歳のハローワーク】

 

 

いつも自分が成長できる場所に

▲日本の伝統工芸のブランド「甲州印伝」は、小百合さんが手がけるブランドの一つ

 

 

――知らない世界に飛び込んで、いろんなことに挑戦するパワーはどこから湧いてくるんですか?

 

坪内:現状に満足するって事は全くなくて、いつも不満だらけかもしれないですね(笑)

 

不満って言うと言い方がよくないですが、常にこうしたいああしたいって思ってます。自分の成長を自分自身で感じていたいと思うので、できるだけ自分が成長できる環境に常に身を置くようにしていますね。世の中はどんどん変わっていくのに、自分が成長せずにいたら、それって自分が衰退してるのと一緒じゃないですか。

 

――それがまた次の原動力になっているんですね。

 

坪内:一番影響を受けているのは、祖母の存在かもしれません。彼女は90歳になった今でも毎日水泳に行って3km泳ぐほどのパワフルウーマン。負けていられないなって思いますよね。

 

あとは、誰に対しても誠実でいようって。それは、自分に対しても他人に対しても。日々のすごく細かなことなんですよ。わからないことはわからないと言う、頼まれたことはできるだけ早く対応する。

 

母国語でのコミュニケーションではないし、ニューヨークは人種も宗教も多種多様なので、「当たり前」が通用しないことが多い。自分の伝えたいことがうまく伝わらないことももちろんあるので、日本にいた時に比べて、より意識していますね。

 

でもそういった、当たり前で細かな積み重ねって、すごく大きいんじゃないかなって思うんです。今ここでまだ働けているのも、誠実にやってきたことを評価されてのことだと、自分では思っています。でもそれって結局は自分のためでもある。だって、時間もお金も投資したのに、何にもならなかったら自分にとって損になるじゃないですか。チャンスのチケットがもらえたら、もう4倍5倍で返す。ただそれだけです。

 

――今後の展望はありますか?

 

坪内:自分がやりたかったセールスと言う分野で、もっと大きな影響をもたらせる人材になりたいですよね。あと、私が日本で茶道をやっていたこともあって、日本の文化を大事にしたいと思うんです。今ちょうど手がけている日本の伝統工芸のブランド「甲州印伝」も、個人的に大好きなんですよ。そのブランドを世界的なブランドにしたいですね。今はそんな野望が、心の中にあります。

 

 

編集後記

世界各国を訪れてみると、日本文化の素晴らしさに気付かされます。そして、いかに日本の文化が様々な国で受け入れられ、愛されているかということも。
日本においても「甲州印伝」を目にする機会が増え、見かける度に、美しくパワフルな彼女を思い出します。彼女は、私たち日本人が大事にしてきた文化を世界に広める伝道師の一人。日本人女性としても、ママとしても、これからの活躍がとても楽しみです。

 

 

※本記事は「働き方メディア Fledge」との提携により掲載を許可された記事です。

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