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ポール・ランドと彼がデザインした世界的に有名な会社のロゴにまつわる物語【IBM・UPS・NeXT】

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おそらくポール・ランド(Paul Rand, 1914-1996)ほど、第二次世界大戦後数十年間のアメリカの視覚文化に最も影響力を持ったデザイナーは他にいません。 そしてそのことで、彼は現在の人々が「コーポレート・ロゴ」というものをどのように考えるかということに、影響を及ぼし続けています。

本記事では、彼と彼が作ったロゴにまつわるストーリーをご紹介します。

 

 

1.実践から学ぶ

 

ブルックリンで1914年に生まれたランドは、若い頃から創造的であり、可能な限り多くの研を積みました。彼の父親は、息子が芸術で生計を立てることは難しいと考えていましたが、マンハッタンのプラット・インスティテュートで夜間の授業に参加することには同意しました。約5年にわたり、彼は様々な学校に在籍しましたが、ランド自身は、自分は独学で勉強したと言うのが常でした。自分のキャリアを振り返りつつ、彼は「プラットでは文字通り何も学ばなかった。私が学んだことはすべて、自分で勉強したものである」と言っています。

最初の仕事の1つは、Esquireが所有する人気のあるメンズファッション誌Apparel Artsのためのものでした。割り当てられた仕事は製品広告のデザインからでしたが、彼が雑誌のカバーのデザインに移るまでにはそれほど長くはかかりませんでした。

Paul Randがデザインしたアパレルアートカバー

Paul RandがデザインしたDirection Magazine Cover

Paul Randのアートディレクションの下にデザインされたEsquireのカバー

 

 

2.ヨーロッパデザインとモダニストの影響

 

ランドはヨーロッパのデザインからま学んだ最初のアメリカ人デザイナーの一人と見なされています。彼はイギリスやドイツから出てくるコマーシャル・アートのジャーナルに触発され、ドイツの『ゲブラウホス・グラフィーク』(広告アートのための月刊誌)に掲載されたカッサンドル(Adolphe Mouron Cassandre, 1901-1968、フランスのグラフィックデザイナー)やモホリ=ナジ(Moholy-Nagy, 1895-1946、ハンガリーの写真家)の仕事から影響を受けました。

彼はまたスイスの表現主義画家パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940)の崇拝者であり、初期の広告のいくつかには、クレー風の絵がアイコンとシンボルとして取り入れられています。ドイツのバウハウスに由来する形態と機能に関するモダニスト的発想をはじめ、受けた影響のすべてが、コラージュ、モンタージュ、手書き、写真、イラストなどをフィーチャーすることも多かったランドの仕事に反映されています。

1941年、27歳のときに、彼は広告代理店のウィリアム・H・ワイントローブ&カンパニーの主任芸術監督に任命されました。その時代、広告は50年前からほとんど変わっていなかったようなものでしたが、ランドはアートを広告に持ち込むことで、コピーライターからアートディレクターへと広告デザインの請負人をシフトさせることに貢献しました。

 

3.コーポレート・ロゴの再発明

 

1950年代までに、ランドは、今ではそれによって彼が最もよく知られている仕事に移ります。そう、 「企業ロゴ」の発明です。IBM、ABC、UPS、ウェスティングハウス、エンロン、ネクストのデザインを手がけることで、彼はコーポレート・ブランディングの基準を設定したのです。

彼の最も有名なロゴの背後には、それぞれにストーリーがあります。

 

・IBM

トーマス・ワトソン・ジュニアがIBMを父から継承したとき、最初の仕事の1つは、会社のロゴをデザインしなおすことでした。ニューヨークのオリベッティのタイプライターの店頭展示を見て彼は、「よいデザインこそビジネスの要だ」という革新的な考えを持ったといいます。

この考えは、同社のマントラになりました。ワトソンは、退屈なコンピュータ企業としてのIBMのイメージを、現代的な感性、パーソナリティ、性格のものに改革したかったのです。彼は近代美術館のデザイナーでありキュレーターでもあるエリオット・ノイズ(Eliot Fette Noyes, 1910-1977)を雇い、IBMのデザインを全面的に見直しはじめました。そのノイズが雇ったのが、ポール・ランドでした。

IBMロゴの進化。画像:Quartz

ランドの最初のデザインは、当時のIBMの既存のロゴを僅かに変更しただけのものでした。彼はフォントBetonを、Cityと呼ばれるBetonとよく似ているけれどもより強く見えるタイプフェイスに置き換え、文字「IBM」をよりしっかりと地に足のついた感じのする、均整のとれた外観にしました。 また、字形にも手を加え、セリフを長くし、文字「B」のなかに積み重ねられた正方形を大きくしました。

しかし、ランドはまだロゴに満足していませんでした。彼は、3つの文字の視覚的な重さの不一致が気に入らなかったことを説明して、「狭い部分から広い部分へと休止なくリズムなくつながって見えるシークエンスに問題があると感じていた」と言っています。

1972年、彼は最終的に、より良い統一感を確立し、スピードとダイナミズムを暗示するためにロゴにストライプを導入しました。左下では、2本の平行な線が等号の記号を形成しています。

IBMロゴは、これ以来変わっていません。

ランドによる有名なアイ・ビー・エム(Eye-Bee-M)ポスターは、絵で文字を表現するrebusと呼ばれる単語パズルの一種で、1981年にIBMのモットーである「考えよ」を支援するために作られました。画像:IBM

・ウェスティングハウス

1886年に設立された電気会社ウェスティングハウス社は、1959年にエリオット・ノイズを雇って仕事をする以前にはすでに主要な大企業としてジェネラル・エレクトリック社の主要なライバルとなっていました。

問題を抱えている会社は、そのビジュアル・アイデンティティを改革する必要性があるということを理解していたノイズは、再びランドに目を向けました。以前のバージョンのウェスティングハウスのロゴは「W」という文字をフィーチャーしたもので、ランドは既存のロゴを現代化し、回路基板の相互リンク点を表したデザインを作成しました。

ウェスティングハウスのロゴの進化。

ランドのウェスティングハウスのロゴは1960年に発行され、今日まで変えられていません。

画像:Logos.wikia.com

 

・アメリカン・ブロードキャスティング・コーポレーション(ABC)

ABCは最初の20年間、ロゴをたびたび変更しました。最初のロゴはラジオに触発されたものでした。基本的にABCのロゴは、このラジオネットワークのロゴを使って、そこに「TV」という文字を打ち出したもので、アメリカの地図、円をあしらったワシ、文字「ABC」、そして珍しい小文字の「Circle A」のロゴが登場しました。 1960年代初期には米国の地図に戻りました。

ABCロゴの進化。

ランドは、1962年10月19日にテレビでデビューしたロゴを再デザインしました。Randのデザイン、白い小文字の黒い円はCircle Aロゴのワードマークを保持しましたが、サンセリフの書体を使用しました。

ポールランドのABCロゴ。

その後ロゴに更新はありましたが、そのシンプルさと大胆さはオリジナルのデザインにとどまり、時間のテストに耐えてきました。カラーテレビ番組が導入された60年代半ばにわずかに変更されました。

そして、2007年に再びHDTVの到来のときにもわずかな変更が加えられます。

1960年代のABCカラーロゴ。

現在のABCロゴ。

 

・UPS

UPSのロゴは有名です。そのシールドを知らない人がいるでしょうか?

それは同社が地元の競合他社との合併に成功した後、1916年に導入されました。このデザインでは、シールドを背景にしてパッケージを保持するイーグルが特徴で、シールドは完全性と信頼性の伝統的シンボルです。

1937年に、会社の成長を反映してロゴが変更されました。ワシは取り除かれ、文字「UPS」がシールドに追加されました。

UPSロゴの進化。

1961年に、ランドがUPSの視覚的アイデンティティを精査するために雇われたときにロゴは再デザインされました。彼のデザインは、既存のロゴを劇的に簡素化し、使い慣れたシールドの上にボウタイパッケージを組み込んで、同社の得意分野を表現し、パッケージを提供しました。

ランドがUPS本社に入り、1つのデザインオプションを提示し、何か他のものがあるかどうか尋ねられたとき、彼はこう答えたといいます。「これ以外にはありえません」。

2003年、ブランド改革の一環として、UPSはロゴを更新して、船積みや配送サービスだけでなく、会社の拡大をも反映し、ボウタイを削除しました。

 

・NeXTコンピュータ

スティーブ・ジョブズがAppleから退社した後、彼はNeXTに移りました。NeXTは、高等教育およびビジネス市場向けの一連のコンピュータワークステーションを開発および製造していたコンピュータ企業です。

彼の従業員の一人の提案で、ジョブズCEOは会社のロゴ・デザインについてランドに相談を持ちかけました。彼らが出会ったとき、ランドには多くのことは任されませんでした。しかし、ランドがこの会議から受け取ったのはジョブズ氏のエネルギーと熱意であり、1977年にロブ・ヤノフ氏がデザインしたアップルのロゴの遊び心を彼がとても好きだという事実でした。

ジョブズへの彼の最初の印象と、彼がNeXTについて持っていた唯一の構造的情報 – キューブに収容される – にインスピレーションを受け、論理的なデザインプロセスに着手しましたが、この仕事は最終的なNeXTロゴと、100ページの提案書を生み出して終わったのでした。

NeXTのロゴ。

1993年のジョブズへのインタビューで、ランドと働いたときの様子を聞かれたとき、彼は次のようなエピソードを話しました。「私が彼にいくつか選択肢があるかどうか尋ねたとき、彼は次のように答えました。「いいえ、私はあなたの問題を解決して、あなたは私に対価を支払う、それだけです。それであなたはソリューションを使用する必要がなくなります。オプションが必要なら、他の人に話をしてください」」。

ランドはNeXTロゴをデザインしたとき72歳でした。彼はジョブズに10万ドルを請求しましたが、ジョブズは結果に満足し、コンセプトブックを人々への贈り物として再現したほどでした。

 

 

※本記事は、Paul Rand and the Stories Behind Some of the World’s Most Famous Logosを翻訳・再構成したものです。

 

 

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