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トーマス・エジソンの発明品11選一覧 白熱電球だけではないエジソンの凄さを学ぶ

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本記事は、11 Thomas Edison Inventions That Everyone Should Know
翻訳・再構成したものです。
配信元または著者の許可を得て配信しています。

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読了時間 : 約6分16秒

すべての人が知っておくべきトーマス・エジソンの発明品11選

トーマス・エジソンの発明品の数々がなければ、私たちの生活が困難とは言わないまでも、全く異なったものになっていたと言っても、疑う余地はまったくありません。米国の偉大な投資家として名高いエジソンですが、彼は生前、米国で合計1,093個の特許を取得しました。他の国々でも特許を獲得しました。

 

エジソンは、1847年にオハイオ州のマイランという小さな村で生まれました。新聞の売り子として仕事を始めた後、電信技士となり、そこで企業家としての才能を見出しました。エジソンは、1869年に21歳という若さで、自身初の特許を取得しました。平均して、40年間に渡るキャリアの中で、2週間に一度の頻度で特許を取得しました。

 

私たちはエジソンが発明した白熱電球と電気分野への多大なる貢献については詳しく知っていますが、知っておいてもらいたい発明品が他の分野にいくつもあります。

 

 

11・電気投票集計機

トーマス・エジソンは1869年に、自身初となる電気投票集計機の特許を取得しました。この機械を使用すると、有権者が手書きの代わりに、「はい」または「いいえ」のボタンを押すだけで投票ができるものでした。しかし、一度も使用されることはありませんでした。

 

基本的には、投票者がボタン(「はい」または「いいえ」)を押すと、事前に登録されているすべての議会議員の名簿リストが載った中心記録器に結果が送信されます。その後、記録係が化学処理された加工紙を設置して、最終投票リストを作成します。

 

エジソンは、ニューヨーク州議会とワシントンDC市議会が共に投票プロセスを自動化する機械の導入を検討しているとする新聞記事に感化されたと言われています。

 

10・真空 ―果物の密封保存方法

 

1870年代後半、白熱電球の発明中、エジソンと彼の共同チームは電球から空気を抜く目的で真空ポンプを大量に製造しました。このアイディアを誰が初めに考案したのかは定かではありませんが、真空ポンプは果物の保存用の密封容器を作るためにも使用されていました。

 

基本的には、果物やあらゆる有機物はガラス容器に詰められ、また別のガラスで密封する前に、容器内のすべての空気が真空ポンプで抜かれていました。エジソンは1881年に「果物の保存」方法で特許を取得しました。

 

食べ物や料理関係で、エジソンが発明したと間違って認識されているものは、蝋紙(ワックスペーパー)です。コーティングされた蜜蝋は、中世の頃から一般的に使用されていましたが、ギュスターヴ・ル・グレーによって蝋紙が初めて世に出回った1851年、エジソンはまだ子供でした。

 

9・磁選機

 

1881年、使用に適した高純度の鉄鉱石が当時米国で不足しているのをうけて、トーマス・エジソンは選鉱粗鉱会社を設立しました。エジソンは、米国東部の海岸の砂浜には比較的多くの鉄を含んでいることも発見しました。この発見を活かして、エジソンは巨大な電磁石を使い、砂に含まれている金属を選別する方法を開発し、特許を取得しました。

 

従来の技術に取って代わると信じ、エジソンはこの技術で鉄の抽出を始めました。野心に溢れたプロジェクトではありましたが、(米国の)東部で発掘される鉄の質が非常に悪く、コスト高になったため、彼の思惑は経済的な理由で失敗に終わってしまいました。

 

8・電信技術発達/株式相場表示機

 

電信通信士の仕事は、結果的にエジソンの発明家としてのキャリアに重要な影響を与えることになりました。初期にエジソンが手掛けた最も重要な発明品の数々は、この仕事がきっかけになっています。エジソンは、電信の機能デザインを改善するだけではなく、実用的な世界共通の株式相場表示機を初めて作製しました。

 

従来の株式相場表示機では、長距離間の株価のやりとりは電信通信網を通して伝えていました。暗号化されたメッセージの送受信にも利用されました。エジソンの株式相場表示機は、1分間におよそ60文字を印刷することができました。

 

一方、エジソンは1892年8月9日に双方向電信技術の特許を取得しました。

 

7・キネトスコープとキネトグラフ

 

1889年から1892年までの間、トーマス・エジソンのもとで、スコットランド出身の発明家ウィリアム・K・L・ディクソンと彼の共同チームは、キネトグラフを発明しました。キネトグラフとは、エジソン設立の会社が発明したのぞきからくりの機械で、それを通して映画をみることができます。

 

それと同時期に、似たような装置がフランス出身の発明家ルイ・ル・プランスによって考案され、彼は米国とフランスで特許の申請を行いました。しかし、エジソンの装置が優先的に審査され、結果的にエジソンに(米国にて)特許が付与されました。

 

ディクソンと彼のチームは、キネトスコープと呼ばれる間欠(信号規制)運動を伴う撮影機も開発し、それを映画の撮影と別の実験に使用しました。1891年5月20日、キネトスコープの試作品が全国女性連合会の集会で展示されました。

 

6・炭素マイク型送話器

 

1876年当時、エジソンは既存の電話機を改良する形で、炭素マイク(当時の送話器)の開発に着手しました。そのマイクのデザインは、炭素顆粒を挟んだ二枚の金属プレートで構成されています。音圧によって炭素の抵抗が変化します。

 

プレート間を流れる安定した直流電流と音圧によって引き起こされる電気抵抗の変化によって、電流が変調します。炭素マイクロホンの利点の一つは、補助電源がない非常に低い電圧でも効率的に稼働する点です。

 

興味深いことに、エジソンの炭素マイクロホンは、エミール・ベルリナーとデイビッド・エドワーズ・ヒューズの炭素送信機と同時期に開発されました。エジソンは、特許権を巡ってエミール・ベルリナーと法廷で長期間争い、ついに勝利を収めました。エドワーズ・ヒューズは炭素送信機の特許申請さえ行いませんでした。

 

5・電気自動車用のニッケル-鉄電池

エジソンは、従来の鉛電池よりもアルカリ電池を使用した方が、より電気自動車が効率的に働くと信じていました。よって、1901年に、米国とドイツ両国でニッケル-鉄電池の特許を取得しました。その電池は、水酸化カリウムを電解質として使用していました。

 

当時、電気自動車の市場シェアは低かったのですが、エジソンは近い将来シェアが拡大し、ニッケル-鉄電池の需要が高まると期待していました。しかし、電気自動車が市場に出回り始めてから数年も経つと、生産はほぼ完全に中止されました。ただ、ベイカー・エレクトリックやデトロイト・エレクトリックは、装置の一部をエジソンが発明した電池で稼働させていました。

 

その当時一般的に使用されていた鉛電池と比べて、エジソンのアルカリ蓄電池はエネルギー密度がより高かったので、「フル充電」までに従来の半分の所要時間で済みました。しかし、アルカリ蓄電池はより高価で、低温での使用には適していませんでした。

 

4・電気ペン

 

多くの実践経験を積む中で、エジソンはより早く効率的に、手書き文書やデザインを安全に複製する複写機の潜在的な需要に気がつくことができました。その結果、エジソンは電気ペンを開発し、完全な複写装置の一部として、電気ペンの特許をその後取得しました。複写装置には、鋳鉄の平台付属のインクローラーと木製の挿入部付きの鋳鉄ホルダーが含まれています。(すべて合わせてミメオグラフと呼びます)

 

利用者は、まず初めに謄写版の原紙に小さなミシン目をつくりながら、電気ペンで文字またはデザインを作成します。電気ペンは湿電池が動力となり、電動機に繋がっています。準備ができたら、謄写版の原紙が鋳鉄複写印刷機の白紙の上に設置されます。インクが染み込んだローラーで型紙の上を押すことで、文書や画像を紙に写し出すことができます。

 

エジソンによると、彼が発明した電気ペンは1分間に3,000個の文字を刻み、一つの装置で5000枚のコピーができたそうです。エジソンの電気ペンは印刷電信機からヒントを得ました。

 

3・微圧計

1800年代中期、赤外線の正確な計測に特化した装置はありませんでした。しかし、1878年に新たな装置が誕生したのです。その年の7月29日に、宇宙飛行士らのチームはエジソンの微圧計を用いて、皆既日食時の太陽のコロナから放出される熱の温度変化を計測しました。

 

その微圧計の特徴は温度変化によって伸縮できる硬質ゴム製の稈で、最も不可欠な部品の一つでした。その稈の長さが変わると、装置に付属している電気回路の抵抗にも変化がおこります。すると、検流計の針が振れるのです。その後、その針の振れが分析され、温度変化が計測されます。

 

他の発明品の数々とは異なり、エジソンは微圧計の特許を取得せず、企業に特許使用料の支払いを求めずに生産を許可しました。

 

2 ・X線蛍光透視装置

 

X線蛍光透視装置は、医療画像技術に欠かせない存在です。X線透視装置により、医師は嚥下の動きや心臓機能など、患者の内臓の重要な機能を検査することができます。CTスキャン(コンピューター断層撮影)やX線撮影のように、X線透視装置はX線を用いてレントゲン写真を撮影しています。

 

トーマス・エジソンは、初めて商業可能なX線蛍光透視装置を開発した第一人者です。彼が発見する前は、透視検査はすべて、白金シアン化バリウムを使って行われていました。その物質は、X線の発見に重大な役割を果たしていました。

 

研究中、エジソンは、灰重石としても知られているタングステン酸カルシウムが、白金シアン化バリウムよりもはるかに明るい透視画像を生成し、より効率的に使用することができることを発見しました。過去数十年間にわたり、さまざまな改良がなされてきましたが、エジソンのX線蛍光透視装置の最も基本的な形が今でも使われています。

 

1 ・蓄音機

エジソンが発明家としてのキャリアを大きく開花させたのは、彼が蓄音機を発明した1877年です。音を記録する機械は、すでに先人によって開発されていましたが、エジソンの蓄音機は史上初めて、録音した音を再生させることに成功しました。

 

エジソンの初期の蓄音機のデザインには、アルミ箔のシートが含まれていて、回転シリンダーに巻かれていました。その上に音が記録されます。蓄音機の登場はあまりにも突然でしたが、広く親しまれるまでに時間はほとんどかかりませんでした。エジソンは、一夜にして有名になり、「メロンパークの魔術師」とも呼ばれました。

 

人気に反して、蓄音機の音質は悪く、録音されたものは一度しか再生することができませんでした。エジソンは蓄音機の特許を1878年に取得しました。

 

エジソンの没後、アレクサンダー・グラハム・ベルやチャールズ・テインターは、初期の蓄音機の肝となる点を数か所改良しました。

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